イギリス車とアメ車のコラボから生まれたマッスルカーとは?

「ACコブラ」という車をご存知だろうか?

世界的にも人気のある名車で、有名どころで言えば、かの所ジョージ氏も所有していたオープン2シーターのマッスルカーである。ただし、この車の変わっている点はマッスルカーでありながら、純粋なアメ車ではないということにある。今回はそんな風変わりな名車「ACコブラ」について語ってみよう。

ACカーズとキャロル・シェルビーのコラボからスタート!

イギリス車とアメ車のコラボから生まれたマッスルカーとは?

画像 – Flickr : Steve Slater

「ACコブラ」は1961年から製造されたイギリス車のボディにアメリカ製のエンジンを積んだスポーツカーだ。1960年代、イギリスの自動車メーカー、ACカーズにアメリカ人の有名レーサーであるキャロル・シェルビーが同社の「ACエース」にV8エンジンを搭載した車の製作を提案。「ACコブラ」の製作が始まることとなる。

MK I・MK IIはACエースの名残を色濃く残していた

完成したコブラMKIにはフォードのV8エンジンが載せられることとなった。外観はまさに「ACエース」の面影を強く残した印象となった。次期型であるMKIIのデザインにおいても同様である。そうして、満を持して完成した「ACコブラ」だったが、1963年にMKIIで挑んだレースにおいて、エンジンのパワーにシャーシの性能がついていかず、ドライバーは満足にコントロールすることができなかったという。これをきっかけとして、MK IIIの開発が始まることとなった。

イギリスの公道に速度制限が設けられたのはコブラのせい?

イギリス車とアメ車のコラボから生まれたマッスルカーとは?

画像 – Flickr : Roland Turner

フォードの協力で開発が進められたMKIIIはシャーシの変更に合わせ、デザインもMKI・MKIIと比べると大幅に変更が成された。

大きく膨らんだ前後フェンダーとラジエーターが覗くフロントエンド、いかにもアメリカのマッスルカー然としたスタイルは、このMKIIIから採用されたものだ。1964年に2台の試作車がバラバラの状態でアメリカに輸送され、エンジンなどはシェルビーのもとで組み上げられ、完成を見せた。427エンジン(7.0 L)を積んだ、MKIIIは最高出力425馬力、スタンダードモデルではトップスピードが262km/h、コンペティションモデルではトップスピードが290kmにも及んだ。

なお、「イギリスの公道に速度制限が設けられたのはコブラのせい」だと言われたほどの速さだったという。市販されたコンペティションモデルも数多くのプライベーターたちを勝利に導き、圧倒的な強さを誇ったという。

「ACコブラ」の製造はACカーズの経営は悪化とともに終了

レースにおいては輝かしい成績を残した「ACコブラ」であったが、母体であるACカーズの経営は悪化し、1967年にはシェルビー、フォードとの関係も終焉を迎え、「ACコブラ」の販売も終了。1970年代には倒産することとなった。

コブラの商標権はシェルビー・アメリカン社へと移行。当時の仕様を受け継ぐ復刻モデルが「シェルビー・コブラ」として製造されている。2015年には「50th アニバーサリー・シェルビー・コブラ 427S/C」が50台が限定生産された。

「ACコブラ」も「シェルビーコブラ」もレプリカも全部が全部高嶺(高値)の花

かくして「ACコブラ」は「シェルビーコブラ」に引き継がれ、現代でも購入が可能となっている。

しかし、伝説的な名車なだけに、その取り引き金額もハンパではなく、コブラ 427S/Cに関して言えば、億の単位までかかってしまうこともあるという。レプリカのキットカーも多く販売されているが、レプリカですら三桁万円台後半での取り引き額が相場となっている。伝説のマッスルカーは、やはり庶民には高嶺(高値)の花といった存在なのである。

画像 – Flickr : Totor300

センカクダイバー

センカクダイバー

悲運の元パチンコ・パチスロライター。ベスパ歴27年、ミニクーパー歴2年のモッズ系猛禽類。旧車を好むクセに機械イジりや整備はサッパリというご都合主義者。