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スカイライン初心者必見!スカイラインはニッサン発ではなかった!?

スカイライン初心者必見!スカイラインはニッサン発ではなかった!?

スカイラインと言えば日産、日産と言えばスカイラインと言っても過言じゃないほどの知名度を誇り、日産を代表するスポーツカーでもあるスカイライン。そして日産車の中で最も歴史の長い車種であるスカイラインが、実は日産発祥の車種じゃないことをご存知だろうか?

今回はそんな特殊な生い立ちを持つ、日産じゃないスカイライン、プリンス「スカイラインGT」について語ってみよう。

 

スカイラインと言えばプリンスだ!?

スカイライン初心者必見!スカイラインはニッサン発ではなかった!?

画像 – Flickr : Ruth Cadioli

スカイラインは1957年、富士精密工業(のちのプリンス自動車工業)の主力車種として生産された。車名のスカイラインは「山並みと青空を区切る稜線」に由来するという。

初代のスカイラインとなるALSI-1型は後方に迫り上がったテールライトや、フロントエンドのグリルなど、50年代のアメ車を小型化させたようなエクステリアデザインの車であった。後にマイナーチェンジされ、4灯式ヘッドランプに変更され、また、カロッツェリア、ジョバンニ・ミケロッティにデザインを依頼した「チャイニーズ・アイ」と呼ばれるつり目4灯ヘッドライトが特徴的な「スカイライン・スポーツ」もシリーズに加わった。これらが初代・スカイラインと言われるモデルだ。

 

スカイライン神話は2代目から始まった

1963年にS50D-I型が発売されることとなった。2代目1G1型直列4気筒OHV1,484ccエンジンを搭載する小型のファミリーセダンであった。

同年に開催された第1回日本グランプリにおいて、プリンスはほぼ無改造のグロリアとスカイラインを送り込むも結果は惨敗。そして、1964年、プリンス自動車は、第2回の日本グランプリで雪辱を晴らすべく「スカイラインGT」を開発することとなる。

グロリア・スーパー6に搭載されていたG7型直列6気筒OHC1,988ccエンジンをS50型スカイラインの車体に搭載。ウェーバー製のツインチョークキャブレターを3連で装着、サスペンションなどシャーシーも強化され「スカイラインGT」は完成を遂げた。結果、優勝こそ逃したものの、2位、3位、4位、5位、6位と上位を独占するという奮闘を見せた。

また、世界を代表するレーシングカーポルシェ904との壮絶なトップ争いが展開され、日本のファミリーカーが世界を代表するレーシングカーを一時ではあるが抜いたというドラマも生まれた。翌日の新聞には「羊の皮を被った狼」と表現された。これが「スカイライン神話」の始まりである。

 

赤バッジは「2000GT-B」から採用された

1965年にはレースモデルと同様にウェーバー製のキャブを3連装し、1,256馬力を誇る「スカイライン2000GT」が発売された。1965年9月にはウェーバーのキャブレターを1基に減らし、105馬力となった「2000GT-A」がラインナップに加わった。同時に先に発売されていた2000GTは「2000GT-B」と名を改めた。いわゆる「54B」の登場である。

なお、GT-Aは青のGTバッジ、GT-Bには赤のGTバッジが装着された。スカイラインシリーズにおける、赤バッジの伝説もここから始まったのだ。

 

日産との合併によりプリンス・スカイラインの名は失われた

1966年に行なわれた第3回日本グランプリでは、特殊ツーリングカーレース部門でスカイラインが優勝を納め、プリンスの技術力を強烈にアピールするも、同年、プリンス自動車が日産自動車と合併したことにより、車名をニッサン・プリンス・スカイラインに変更されることとなる。これが2代目スカイラインの終焉となった。

幾多の伝説を残し、日本の技術力を世界にアピールした一因となったプリンス・スカイラインGT。ハコスカ人気に隠れがちで、あまりメジャーな存在とは言えないが、2代目スカイラインこそ、神話を作り上げた車種なのだ。

 

スカイラインGTのオーナーになりたいアナタへ

圧倒的な人気を誇るハコスカあたりならば、高いにしろ専門店ができるほど流通しているのだが、プリンス・スカイラインGTともなると「2000GT-B」「2000GT-A」ともに全くと言って良いほど流通していないのが現状である。筆者も以前から並々ならぬ興味を持って探してはいるのだが、滅多なことでは市場に姿を現さない。そして姿を見せたとしても、とてつもない金額となるであろうことは明白である。

チャンスをひたすら待つか、写真を眺めて悦に浸るのが現実的だと思われる。

 

画像 – Flickr : Iwao

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