“ラットフィンク”の生みの親”エド・ロス”を3分で知る(2/3)【ラットフィンク編】

前回の『“ラットフィンク”の生みの親”エド・ロス”を3分で知る(1/3)【ビルダー時代編】』に続き、今回は”ラットフィンク”の誕生から”BIG DADDY”と呼ばれるようになるまでを振り返ってみたいと思う。

“OUTLAW”製作後の変化

"ラットフィンク"の生みの親"エド・ロス"を3分で知る(2/3)【ラットフィンク編】

“OUTRAW”製作後、エドは作業の場をアトリエに移した。その後彼は、「BEATNIK BANDIT」、「ROTAR」と、次々名作を世に送り出した。

その車輌たちは、総じてアート作品と呼ぶべき独創的な仕上がりであった。

“RAT FINK”の誕生

"ラットフィンク"の生みの親"エド・ロス"を3分で知る(2/3)【ラットフィンク編】

ラット・フィンクの誕生が、彼の人生を変えた。

エドは週末になるとカーショーに出向いてはブース出展をし、エアブラシでモンスターやホットロッドの絵柄を描いオリジナルTシャツを販売して資金を作っていた。幼少期より絵を描くことが得意であり、また独創的な絵柄であったため、やがて彼のブースは多くの人に注目されるようになっていった。 その当時一番人気があったのがラット・フィンクであった。カスタムビルダーとしての地位を確立していた彼だが、世に轟かせたのはこのラット・フィンクであった。

ラットフィンクの起源は、自宅の冷蔵庫に落書きしたジョーク絵で、”ミッキーマウス”に対するアンチテーゼであり、実に皮肉めいたものだった。しかしそれが当時の不良少年の心を鷲掴みし、アンダー・グランド・カルチャーのシンボルとなっていった。
後にラット・フィンクは、全米のティーンズを中心に大人気となり、1963年にはTシャツ、ポスターやカー・デカールが大量生産されるほどであった。この人気によって、 カリフォルニア州レイクウッドに店舗を構え、クルマのカスタム・オーダーとラットフィンクグッズを販売する会社を経営した。

“BIG DADDY”というニックネーム誕生

Revell 1279 Beatnik Bandit - Ed "Big Daddy" Roth Creation - Plastic Model Kit - 1:25 Scale by Revell [並行輸入品]

ラット・フィンク・ブームに目をつけたアメリカのおもちゃメーカーの”Revell”社だ。その後Revell社は、エドのカスタム・カーをプラモデルとして発売し大ヒットさせている。

また、エドに”BIG DADDY”というニックネームがついたのはこの時であり、名付けたのは当時のRevell社の広報担当でだった。
エドはとても大柄で、高校時代には”BIG ED”と呼ばれていたというエピソードをヒントに”BIG DADDY”と名付けた。

ちなみに、当時のRevell社とエドとの契約は、1商品につき1セントの特許料だったという。しかし、特許料だけでも年間32,000ドル受け取っていたというのだから驚きである。

Revell社のプラモデルの大ヒットと共に、彼の名前は全米に広く浸透していったのである。

いかがだっただろうか。

この時期までくると、もはやシーンの中心人物になっていることがよく分かる。

次回は、バイクへの興味から彼の晩年までを述べた『“ラットフィンク”の生みの親”エド・ロス”を3分で知る【カスタムカルチャー編】』に続けたいと思う。

画像 – Flickr : Insomnia Cured HereATOMIC Hot LinksKirby Kerr

forRide編集部

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