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ランボルギーニはトラクターのメーカーだった!?

ランボルギーニはトラクターのメーカーだった!?

つい先日、新型SUV「ウルス」の発表で話題のランボルギーニ。

ランボルギーニと言えば、「カウンタック」や「ミウラ」など有名なスーパーカーを作ったイタリアを代表するスーパーカー・ブランドの一つであり、庶民にとってはいまだに憧れのブランドでもある。しかし、そんなランボルギーニが実は農機具メーカーだったことはご存知だろうか? そして、もう一つのイタリアのスーパーカー・ブランドの雄であるフェラーリとの確執がブランド立ち上げのきっかけだったことは?

今回はそんな様々な逸話を持つランボルギーニについて語ってみよう。

 

トラックとトラクターの販売で巨万の富を築くこととなる

第二次世界大戦後、イタリアにトラックが不足していることに目を付けたフェルッチオ・ランボルギーニ氏は、トラックの販売で富を得た。その後、トラクターの自社開発に取り組み、1949年にランボルギーニ・トラットリーチ SpAを設立。高性能なトラクターはたちまち大ヒットに繋がり、フェルッチオ氏は巨万の富を築くことに成功する。

そうしてエキゾチックカーを買い集めるようになったフェルッチオ氏だったが、彼を満足させる車はなかなか出現しなかった。

 

フェラーリのパーツはトラクターのパーツと一緒だった?

エキゾチックカーを買い集めるうちに、ついにはフェラーリのオーナーとなるが、当時のフェラーリにはクラッチに欠陥があり、度重なるクラッチ故障に頭を痛めたフェルッチオ氏は、自社のトラクター工場でフェラーリを修理することを思いつく。そうして、いざクラッチを分解してみると、使われていたパーツはなんと自社のトラクター用パーツと同型のボーグ&ベック製クラッチ板であり、しかも同一のパーツにフェラーリはトラクター用の10倍の値段を付けていたということが判明する。

元々、優秀なメカニックであったフェルッチオ氏は、クラッチ修理と同時にフェラーリに装着されていたウェーバー製のダウンドラフト型キャブレターをサイドドラフト型の物に改め、エンジンヘッドをオリジナルのSOHCからDOHCに改造。完成した車は新型フェラーリをカモれるほど速かったという。

 

フェラーリとの確執の逸話はどうやら否定されているという

このクラッチの一件がきっかけでフェルッチオ氏は自動車ビジネスに乗り出す決意をしたという。前述のフェラーリの高額なパーツ販売をみて、「この商売は儲かる」と踏んでもいたようだ。有望なビジネスとして高級車業界を見ておりスポーツカーへの愛情とその財力を背景に創設を決意した。

ちなみに「度重なる故障に腹を立て、フェラーリに直談判に赴いたところ真摯に取り合ってもらえないどころか罵倒され、腹を立てたフェルッチオ氏がフェラーリへの対抗意識から自動車ビジネスに乗り出す決意をした」という逸話が有名だが、これは彼の夫人によって否定されているとのことだ。

 

発売当初こそ酷評を受けたが後に大ヒットブランドへ

1962年にプロジェクトを発表、1963年トリノモーターショーで「350GTV」を発表する。この350GTVは独創性にあふれたボディラインを持ち、性能面や上質な内装等で一定の評価を得たが居住性やGTとしての使い勝手で酷評を受けることとなる。

しかし、当初こそマセラティやフェラーリを引き合いに出されてはトラクターメーカーとしての出自を揶揄されたものの、翌年に「400GT」がロールアウトされる頃になると独創的なスタイルと快適性がエグゼクティブの間で話題となり、結果、350GTは130台以上、400GTに至っては250台以上のセールスを記録することとなる。この数字は当時の超高級GTとしては非常に良好な記録である。

 

かくして伝説のスーパーカーが誕生し、現在の雲上人の乗る車ブランドとして確立されていく

1966年のランボルギーニ「ミウラ」を発表、1971年にはランボルギーニ「カウンタック」を発表と、我々スーパーカー世代にとっては、あまりにも有名な名車を次々と世に送り出し、ランボルギーニは押しも押されもせぬ世界的スーパーカー・ブランドとして確立されていくこととなる。もちろん、ランボルギーニは現在でもイタリアを代表するスーパーカー・ブランドとして雲の上にあり続けていることは、読者の皆様もご存知だろう。

 

フェラーリとの関係性

上記したフェラーリとの確執の逸話の話はともかく、フェラーリがV12気筒というマルチ・シリンダー・エンジンを売り物とすれば、ランボルギーニも生産第一号車からいきなりV12気筒エンジンを引っさげて登場。

フェラーリが4人乗りモデルを出せばランボルギーニも4人乗り「エスパーダ」を、小型モデルを出せば小型の「ウラッコ」を、とフェラーリを大いに意識したラインナップを発表し続けたというから、フェラーリを強く意識していたことは間違いないようだ。

ただし、ランボルギーニが成功を収めたあとはフェルッチオ氏とエンツオ氏はむしろ良好な友好関係にあったとのことである。

 

夢は夢として割り切ることも重要だ

そうしたライバル関係などに思いを馳せながら、ランボルギーニ、フェラーリなどの雲上人が乗るようなスーパーカーは模型や本などを買って夢見るのが、正しい庶民の在り方ではないだろうか。

無理な借金を重ねて夢のスーパーカーをどうにか購入したものの、半年足らずで自己破産。手放す時の金額は3分の1などという悲惨な例を見てきた庶民代表の筆者としては強く思うわけである。

こうした逸話だけに惹かれて、くれぐれも無理をしないようにしたいものである。

 

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