トヨタが、ハイブリッド車の世界累計販売台数が2017年1月末までに1,000万台を突破したと発表しました!
初代プリウスがリリースされた1997年当時は、ガソリン車との価格差・性能差を考慮すると、後にコレほど普及するとは想像できませんでした……トヨタさん、失礼いたしました!
トヨタ ハイブリッドの歩み
トヨタは環境への対応を経営の最重要課題の一つと位置付け、「エコカーは普及してこそ環境への貢献」との考えのもと、ハイブリッド車の普及に取り組んできました。

プリウスコンセプト(1995年)
その端緒となったのが、1995年に開催された第31回東京モーターショーで公開されたプリウスコンセプト。輝かしい市販第1号こそ1997年8月に発売された「コースターハイブリッドEV」に譲りましたが、量産車として世界を席巻する「プリウス」の原型として、記憶に留めておきたいコンセプトカーです。
「TOYOTA EMS (Energy Management System)」と名付けられた、世界初のパワートレーンシステムを搭載していました。ガソリンエンジンとCVT、それにキャパシター電源のモーター&ジェネレーターをコンピューター協調制御することで、パワートレインの効率を大幅に向上。またエネルギー回生、アイドリングストップ機能の採用など、当時最先端の機能も搭載していました。

初代プリウス(1997年)
温室効果ガスの排出量削減が世界的な課題となる中、「21世紀に直面する資源・環境問題にトヨタとしての答えを出そう」と始まった初代プリウスの開発。開発陣は「どのような結果になろうともハイブリッド車を開発することは必ず将来の役に立つ」、「できることをやるのではなく、やるべきことをやる」との志をもってプロジェクトに臨み、世界初の量産ハイブリッド乗用車を世の中に送り出しました。
「21世紀に間に合いました!」のコピーを覚えている方も、少なくないことでしょう。市販モデルでは、パワートレインはTHS(Toyota Hybrid System)と呼ばれました。燃費は28.0km / Lでした(10・15モード)。

2代目プリウス(2003年)
初代プリウスに採用された「THS(TOYOTA Hybrid System)」は2003年に「THSⅡ」へと進化を遂げ、2代目プリウスに搭載され、その後のトヨタ車に幅広く展開されました。
2代目プリウスでは、4ドアセダンの初代から空力を考慮した5ドアハッチバックへと、ボディも大幅に変更されました。
販売面では、この2代目の登場がターニングポイントとなりました。北米での販売が急上昇したのです。日本の街中でも「なんかプリウスよく見るな」と感じるようになったのは、この頃ではないでしょうか?
プリウスは、2009年には3代目にモデルチェンジしましたが、トヨタは続々とハイブリッド車のラインアップを増やして行きました。
それは国内だけに限ったことではなく、2015年には、カローラハイブリッド、レビンハイブリッドを中国で発売しています。
現地生産も盛んに行われており、2005年より中国、2006年からアメリカで生産されるようになりました。
今では「エコカーの代名詞」となったプリウスですが、「TNGA(Toyota New Global Architecture」1号車となった4代目は、環境性能に加えて、運転して楽しいクルマとして選ばれることも目指して開発されました。
初代プリウス開発責任者は会長になっていた!
いかがでしたでしょうか? プリウスをメインに、トヨタのハイブリッド車の歩みをササっとまとめてみました。
ちなみに、初代プリウスの開発責任者として知られる内山田竹志氏は、現在、トヨタの取締役会長になっています。やっぱり大ヒット作の開発責任者ですから出世したんですね。最後に会長のお言葉で、締めとさせていただきましょう!
初代プリウスの発売当時『ハイブリッド』という言葉は世間に全くなじみもなく、乗っている人は『オタク』だとも言われた。しかし、そのような未知のクルマに期待を寄せ、お乗りいただいた多くのお客様に支えられて、ハイブリッド車は1,000万台という節目を迎え、今では『普通のクルマ』になるまで普及することができた。ハイブリッド車をここまで育ててくださった全てのお客様に心から感謝を申し上げるとともに、これからもお客様と一緒に地球環境問題の解決に貢献できるよう挑戦を続けていきたい
と語っているそうです。
今後はPHV化が進んだりもするのでしょうが、トヨタのハイブリッド車の攻勢は、もう暫く続くことでしょうね。