原付でフラフラと伊豆を走ったのが初めての泊りがけのツーリングだった。寝袋だけを持って海岸で野宿し、翌朝髪の毛の中にまで砂まみれで、”寝袋だけ”の限界を悟った。
17歳、九州一周の旅
安物のテントを買ったのは中型バイクに乗り換えてから。寝袋+テント、もう怖いモノはないと九州一周の旅に出た。当時は川崎〜宮崎のフェリーがあり往復のチケットは用意していたが、旅の資金そのものが少なすぎた。なにしろ17歳の世間知らずだ。寝るところはテントで無料だし、帰りのフェリーも確保してある、後はガソリン代があればどうにかなるだろう。そんな愚かな事を本気で考え実行していたのだ。
宮崎から走り出し反時計回りで九州を一周するのだが、キャンプ場が有料だという驚愕的事実を知り、道の駅など存在しない1980年代なので、そのへんの道端で寝る。金がないので各地の名物など何も食べられずに小さな商店で菓子パンと牛乳を買い食べるだけ、しかも朝にパンを2個か3個買いそれで一日を過ごす。
テントの中ではトランジスタラジオは唯一の寂しさを紛らすアイテムだったが、感度の悪いラジオが拾うのは当時不人気で球場に人などまばらなパリーグの野球中継。ノイズの向こうから聞こえる閑散とした球場の雰囲気は、寂しさを倍増させるだけだった。
観光地も金がかかるところには行けない、有料道路だって乗れない、温泉なんてもってのほかで、その旅は辛いだけの修行のようなものだった。続けられたのは友達に「九州一周してくる」と宣言してしまっていたのと、帰りのフェリーは一週間後と決まっていたからだ。
神社でのお祭り
熊本あたりの山の中だったと思う。小さな集落の小さな神社でお祭りをやっていて、その境内に入ると、集落の人たちが塩むすびと鮎だかイワナだか、川魚の塩焼きを配っていたのだ。もちろん無料。その塩むすびと川魚の塩焼きはいまでも生涯ナンバー1の美味さだった。
楽しいことはそれだけの辛い旅の最終日。宮崎にある「鬼の洗濯岩」という観光地のドライブインで竹輪を焼く屋台が出ていた。だが帰りのフェリーでの食事を考えればそれすら食べる金もなく、九州一周をやり通した達成感よりもみじめさだけが残る最低な旅だった。
その旅思い出すとつくづく思うのは、それでもバイクに乗り続けている自分のしぶとさ。
40歳をすぎて竹輪にリベンジ
40を過ぎて久しぶりに九州を一周した時には食べたいものを全て食べた。
「17歳の自分の敵討ちだ」
最後に宮崎の鬼の洗濯岩に向かった。あの竹輪を食い尽くしてやるくらいの勢いで。訳を話すと仲間数人が。「よし、食いに行こう」と賛同してくれた。
だがそこには当時のドライブインはなく、綺麗に整備された道の駅があり、竹輪の屋台など出ているはずもなく道の駅のレストランで一番高い「松花堂弁当」を食べてきた。
菓子パンは今でも食べることはあるけれど、もうあんな旅はしたくはない、というよりはもう出来ないだろう。今ではバイクで全国を走り回れる仲間もいて、憧れだったバイクにも乗れている。続けられているのはあの時に、頑張って走り続けてくれたからかもしれない。
菓子パンの袋をみながら、最近は良くそんなことを思う。