おじさんたちが語りたがる80年代のバイクブーム。なにがすごかったの?

それが出てくるや否や、時と場所、その内容の分野は違ったとしても。

例外なく非常に煙たがられるオッサンの自慢半分昔話

 

とはいえ、あの空前のバイクブームがあってこその、現在の世界に君臨する国内四大メーカーであったり、今なおその影を感じさせるネガティブな影響だったりもします。

主に世相について触れながら、1980~1990年代にかけてのバイクブームがどういった時代であったかを紐解いてみましょう。

 

バブル経済の影響

新版 ジャパンアズナンバーワン

時は1980年初頭、日本が完全に高度成長期から軌道にのり、世界中の富が日本に集中して空前の好景気となっていった時代とほぼ完全にリンクします。

 

日本的経営と高度成長を高く評価したアメリカの社会学者の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と題された著書が1979年に出版され、そのタイトルは以後あの一時代を象徴した文言となりました。

当時の好景気を表すのに様々な逸話はありますが、バイクを取り巻く動向もそれは凄まじいものでした。

 

半年毎にニューモデル!?

東京タワーという俗称で親しまれたスズキGSX400Xインパルス。1986年発売。

各社間の性能競争が激化するとともに、煌びやかなスペックと新装備を並べ立てて出せば売れるといった状況と、銀行がいくらでも融資していたという潤沢な開発資金もあり、いずれのスポーツモデルも次々に洗練され高性能化していきました。

冗談でもなんでもなく半年毎にニューモデルが登場し、これも当時は百花繚乱であったバイク雑誌を賑わせていました。

 

もっとも、あまりに熾烈なシェア争いからの薄利多売、過剰在庫とそのダンピングで財務状況が悪化して、倒産寸前となった会社があったのもこの時期です。

 

金策が簡単!?

銀行系・信販系・消費者金融系といった金融機関の扱う一般向けのクレジット・ローンといった仕組みも、この時代に一気に拡充され身近なものになります。

クレジットカードも「使わなくても付き合いで」と金融会社側から頼み込んでくるほどで、審査も至極簡単なものでしたし、18歳以上で定職に就いていれば、かなりの額までも簡単に借りることができました。

 

それとは逆に、敢えて定職につかずアルバイトの掛け持ちで生計をたてる若者が多く現れはじめ、「フリーター(フリーアルバイター)」という呼称が生まれたのもこの時代です。

当時のフリーターといえば仕事はより取り見取り、正社員として働く同年代よりも金回りがよくなることも多く、上項での「半年毎にニューモデル」を次々に乗り継いでいた人もいたほどです。

 

このようにバブル景気の本質からは一番遠い位置にいる庶民層までもが無茶な金策をしながらも、それなりに暮らしていけていたのもこの時代の凄さなのかもしれません。

 

二輪カルチャーが中心に!?

映画パンフレット 「彼のオートバイ 彼女の島」 出演 原田貴和子/竹内力

これを詳細に語るとなるとコロンブスの卵的な話にもなってしまいますが・・・・・・

そういう作品が若者たちをこぞってバイクにはしらせたのか?

バイクにどっぷり漬かった若者たちに迎合して作られたのか?

はたまたその両面からのスパイラルアップなのか?

 

映画・小説・コミックでもバイクの存在感と存在意義が非常に大きなウェイトを占めた数多の作品が公開・出版されており、バイクは興味のない人にとっても比較的身近に感じられるものでした。

 

バイク乗りがモテていた!?

ハイティーンブギ近藤真彦 田原俊彦 舛田利雄 映画ポスター B3判 1980年代 邦画M15

バイク乗りというだけでモテるわけではない(結局本人次第・・・・・・)のは今と全く同じですが(笑)。

 

上項で述べたような作品群により、基本的にバイクに興味のない人に向けてまでもバイクの魅力と価値観はたっぷり伝わっており、知らないながらに興味津々といった層は多数存在し、誘い出すための口実や、誘い出されることに「バイクに乗ってみたかったんだもん」というエクスキューズを与える上で、非常に有効であった時期は確かに存在しました。

 

もっとも、乗せたら乗せたでそれなりにしんどい面がバレていきながら、さらに景気が良くなるにつれ「やっぱりデートはクルマだよね」とはなっていくのですが(泣)。

 

公道を我が物顔に・・・・・・


バイクブームのはしりでもあった1970年代の広域大規模暴走族に代わって1980年代に台頭したのが、峠族・ルーレット族とも称される「走り屋」です。

峠や埠頭を我が物顔で走り回って占拠し、事情をよく知る関係外の通行車両は迂回ルートがあれば迂回していたほどで、まるで山賊か何かですね。

 

ただ、当時の世相として、免許を取ってバイク(クルマ)を買ったら峠で腕を磨く!というのが、誰から押し付けられたわけでもなくとも、多くのバイク好きにとってごく当たり前の自然なことでした。

 

筆者も理論より実践とばかりに、「ついてこい!」と先輩達に引きずりまわされていたものです。

ちなみに当時サーキットを走行するのは、ライセンスの取得をはじめ、規定に合わせた車両の改造や規格に合った装備一式が必要で、余程その世界で身をたてるつもりでもないと、おいそれとは手の出せないものでした(という印象がありました)。

 

で、公道であれだけ危険な走行をしていながらも、本人たちはそれなりに大真面目に安全については考えていたのです。

よくマンガでみかける「俺が最速だ!」「勝負だ!」といった場面には遭遇することもなく、多くの場合追い越しは禁止であったりスローダウン区間があったりと、場所毎に様々なローカルルールがあり、初めての所では常連と思しき人に尋ねてから走るのが掟でした。

 

それでもやはり危険なことには変わりなく、幸いにも筆者の直接の知り合いにはそういったケースはなかったのですが、よく行くコースでの顔見知り・バイク見知りをぷっつりみかけなくなったりということも間々ありました

 

これらの所業により、限定解除試験の新設(これはもう一時代前の1975年)であったり、(高校生に)バイクを買わ(せ)ない、バイクに乗らせない、免許をとらせないという「3ない運動」(1970年代後半~)の隆盛にくわえ、事故や苦情の多発から二輪車通行禁止となった各地の観光道や生活道も多くあります。

 

バブル崩壊とともに

1990年代初期のバブル崩壊による空前の好景気の終焉により、そのリバウンドともいえる不景気に突入します。

 

好景気頂点からの下降開始からしばらくは不景気を実感することもありませんでしたが、そのうち地価は暴落し大手金融機関の破たんや統合が相次ぎはじめ、ここに至りバブルの本質からは遠いところにいた庶民も、収入が増えない / むしろ減る、新たな借り入れが難しくなってくるといったことから不景気を実感することとなります

 

上項であげたような無茶な借金をした若年層やフリーターはあえなく自己破産してしまうケースも多かったため、その後の若年層に対するローンやカード発行の審査の厳しさに繋がっていきます。

 

一方バイクの世界では、熾烈な各社の競争から過激に先鋭化したレーサーレプリカへのアンチテーゼとして、レプリカ系全盛の1989年に発売されたカワサキ・ゼファーのヒットから他社も追随してのネイキッドブーム、続くストリート系の流行やレプリカ系愛好者のリッターSSへの移行等を経ながら、アンダー400クラスでのレーシーなモデルはいったんほぼ絶滅してしまい、それとともに峠に通い詰めるといった行動様式は少数派となっていきます。

 

免許制度変更により限定解除試験が廃止されたり、3ない運動撤廃の動きがあったり、各地の通行禁止が徐々に解かれていったり、比較的気軽に走行できるサーキットが増えたといった好材料もありながらも、バイクを題材としたカルチャーは漸減していき、仮面ライダーまでもがクルマや電車に乗るようになった現在に続いています。

 

まとめ:良くも悪くも影響は大きかった

こうして改めて書いてみると、当時はそれが当たり前と思っていたオッサンたちの輝かしい青春の1ページも、今思い返してみると現在への負の遺産となっているケースも多いと思われます。

くわえて少し前の国土交通省の不正改造車撲滅を呼びかけるポスターの当事者として描かれているのが、白髪交じりの年配男性であったことも記憶に新しいことで、少々思い当たるところのある筆者は反省しきりです。

 

あのころのブームよもう一度というシニア層ライダーも多いですが、よく言われる価値観の多様化であったり、そもそもの人口構造の変化も勿論ながら、最近のリスク管理に長けた若年層にバイクが響かない / 積極的に手が出ないのは、こういったネガティブな面も影響しているのかもしれません。

 

ともあれ、あのバイクブームは社会情勢・メーカー・ユーザーが相乗しながらがっちり噛み合った奇跡的な一時代ではありました。

現状の日本で、かつてのレベルでのブーム再来は難しいところはありますが、昨今のアジア新興国圏において日本におけるブーム前夜と似たような兆しがあります。

メーカー各社もその需要への対応に注力している今、そこから生み出される新型と価格に期待しましょう!

 

参考-写真ACUNSPLASH

 

Kenn

Kenn

モノと生き物の境目が曖昧なちょっとイタい人。 バイク・クルマに限らず、作り手の情熱・魂の込もったモノに惹かれます。 DOS時代から名乗っているハンドルなので、某声優のほうが後発デスヨ