【日本版マン島TT】日本バイク業界の発展に貢献した「浅間火山レース」とは?

日本のバイクメーカー4社は世界シェアの半分以上の占めるほど巨大なメーカーです。欧州や北米など日本メーカーより半世紀前からバイクを生産していたメーカーは多かったのに、日本メーカーがなぜこれほど成長できたのか? 紐解くと、伝説の「浅間火山レース」が大きな役割を果たしていました。

 

伝説の国内最高峰バイクレース・浅間火山レース

日本の二輪車産業は、戦後直後から数年の間150以上のメーカーが存在し、多くのバイクメーカーが乱立する中で性能競争はレースの場でした。

1949年、日本小型自動車工業会が設立され、多摩川スピードウェイで全日本モーターサイクル選手権大会が開催。

多くの出場台数と観客を集めるレースとなり、さらに大規模で多数のバイクが同時に走行できるレースとして、マン島TTを参考にして浅間火山レースが開催されるようになります。

 

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のちに国内モータースポーツ界の大御所ドライバーとなる北野元氏、高橋国光氏もライダーとして浅間火山レースに出場し、多数の名車と多くの名ライダー・ドライバーを輩出したことから、浅間火山レースは国内レースにおける伝説となっています。

 

1周19.2キロの超ロングコース

1955年11月5日と6日に第1回日本オートバイ耐久ロードレース、通称「第1回浅間火山レース」が開催され、レギュレーションは海外製の部品の装着が認められず、マシン全てを国内で製作されたものでしか出場できませんでした。

浅間山は長野県と群馬県との境にある標高2,568mの成層火山で、2県をまたぎ公道を使用した23kmが予定されましたが、長野県側から許可が得られず群馬県内で完結させた1週19.2kmのコースでした。

 

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レースは19メーカー81台がエントリーし、125ccの「ウルトラライトウェイトクラス」、250ccの「ライトウェイトクラス」、350ccの「ジュニアクラス」、500ccの「セニアクラス」の4クラスが開催し、第1回のレースを制したのが125ccでヤマハ、350ccと500ccでホンダ、250ccが優勝したのは丸正自動車製造株式会社が製造したライラックSYでした。

125ccを制したヤマハ・YA-1は「赤トンボ」の愛称で名車となっていきました。

 

バイクメーカー共同出資で浅間高原自動車テストコースが完成

浅間火山レース開催から、マシンが高性能化するにつれ危険性が高まり、コース周辺住民からの苦情もあったため新たなコース設定が必要になります。

 

そこでホンダやヤマハなど19社が共同出資と国土交通省の支援により群馬県浅間山麓にて1周9.351kmの「浅間高原自動車テストコース」が完成。火山灰と砂利道でできた二輪車専用のモトクロスおよびダートトラック専用サーキットでした。

 

プロだけでなくアマチュアも参加できるレースに

浅間火山レースはメーカー間で競い合うことが前提にあったため、社員ライダーや契約プロライダーしか参加できないレースでしたが、さらにアマチュアライダーも参加できる第1回全日本モーターサイクルクラブマンレース大会が第3回浅間火山レースと併催されることになります。

 

このとき、第1回クラブマンレースでは125ccクラスでヤマハ・YA-1が1位から5位までを独占。

第2回クラブマンレースでは125ccと250ccクラスでホンダの北野元氏、500ccクラスではBSAに乗っていた高橋国光氏が優勝。レース開催回数を重ねるにつれ、国内バイクメーカーの性能と日本人ライダーのレベルは向上していきました。

 

しかし、レースが高速化するにつれ、浅間高原自動車テストコースも危険なコースとされ、浅間火山レースは1959年の第3回大会で最後になります。

浅間高原自動車テストコースの舗装化計画も持ち上がっていましたが、1962年に鈴鹿サーキット、1966年に富士スピードウェイが完成し、運営を担っていた浅間高原自動車テストコース協会が解散したことで浅間山で競技車両が走ることが徐々になくなっていきました。

 

浅間火山レースがあったからこそ日本メーカーが飛躍できた

浅間火山レースのコースは標高1,000m以上で空気が薄くエンジンの馬力を出すのが難しく未舗装のダート路面が何キロも続くロングコースで耐久レースが行われていました。レース開催初期は欧州バイクに比べ性能レベルが低かったものの、浅間火山という非常に過酷な環境で勝てるマシンを作り上げたメーカーが徐々に世界に対抗できるようになります。

 

それが、現在のホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキとされ、英・マン島TTや、仏・ボルドール24時間、米・デイトナ200マイルなどメジャーレースの常勝メーカーとなっていきました。

国内バイクメーカーは浅間火山レースの実績こそが、世界でトップレベルのバイクを生み出せる原動力となったのです。