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バイクの上ではいつだって音楽で溢れている「Second Song Natunoowarini by OdorouMatilda」

バイクの上ではいつだって音楽で溢れている「Second Song Natunoowarini by OdorouMatilda」

長いトンネルを抜けて九州を出たのが昼過ぎだった。ちょうど桜が満開の季節で、山口の国道に時折現れる桜並木の下を通る時は心が弾んだ。帰っても毎年行く千鳥ヶ淵の桜は散ってしまっているだろうと考えると、弾んだ心が萎んでいく。

 

旅の終わりが近づいているからだ。

山口で日本海側に出ようと思っていたが、地図も見ずにぼんやりと進んでいたから道を間違えたと気が付いた頃には、走る自分の影が前に見えていた。今さら日本海に出るのも面倒になりそのまま北上しようと考える。京丹後あたりでキャンプと考えていたが予定変更だ。

腹が減って入ったコンビニはすでに広島県。駐車場でおにぎりとカップ麺の昼飯を食いながら地図を眺める。どこをキャンプ地としようか。三原辺りに良さそうなキャンプ場がある。そこにしようと走り出す。春の陽射しは暖かく、インナーダウンを脱いでから走り出すと、三原には直ぐについてしまった。

 

午後4時。

キャンプ場に入るには丁度良い時間。暖かな風は穏やかで良い夜になりそうだったが、キャンプ場に続く山道に入る前のスーパーマーケットには意識して寄らなかった。そこでアルコールと今夜のつまみを買っていれば迷わずにキャンプだろうが、何故かその気にならなかった。

旅はあと二日。それで終わりだ。帰り道はいつでもどこか後悔に近い気持ちが胸の底に溜まっている。あの道を走ればよかった。あの神社には寄るべきだった。あそこまで行ったのなら島にも渡るべきだった。

途中までは満足感の方がはるかに大きかったというのに、帰る途端にそうなるのだ。そうして帰り道のキャンプというのがまた盛り上がらない。ひとり旅だ。だれと話すわけでもないのだから……

 

高速に乗ってしまおう。

三原のキャンプ場に向かう山道には「山陽道」の看板がかかっていた。どうせ盛り上がらずに寂しい気持ちでキャンプするくらいなら走ってしまえ、そんな気分が勝った。山陽道に乗った時には自分の影がかなり長く伸びていたが、それも直ぐ闇に飲み込まれるように消える。

大阪に入る頃には気温が一気に冷え込んで、名神にしろ新名神にしろ寒さのピークは夜中になる。一気に走る気持ちが萎えて行く。サービスエリアの隅にテントを張って、荷物の底に残っていた焼酎を生ぬるい水で割って飲んだ。

 

「9月の手前まだ鳴き続ける、あの蝉は俺だよ」

季節は違うけれどそんな夜にそんな詩の歌がアルコール以上に沁みる。夏が終わる寂しさに叶わぬ思いを重ねたこの曲の哀愁が、旅の終わりの気分に重なる。

いつだったか、北の仲間と青森で落ち合ってキャンプしたことがある。なかなか会えない仲間全員が無理をして青森に向かった。

ひとりで出発して、ひとりで帰ったそのときのレポートに、「寂しさを引きずって帰るから、優しく笑えるんだ」という文章で締めくくったことがある。

 

いつでも旅はその通りだ。

「優しい夢よまだおわらないでくれ、誰もいない農道の上に”夏“は置き去りさ」

夏を旅に帰ればそのままバイク乗りの心情だ。

明日はきっと影が伸びる前に旅の終わりが訪れる。

 

 

参考 – Youtube:踊ろうマチルダ「夏の終わり」

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