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大好きなあのバイクメーカーが、実はその昔に倒産していた?意外と倒産が当たり前な乗り物製造業。
今回は、有名なあのバイクメーカーの意外な過去にスポットを当ててみましたので、ぜひ最後までお付き合いください。
ノートン・モーターサイクル
イギリスの名門バイクメーカーであるノートン。1898年にジェームズ・ランズダウン・ノートン氏により設立されました。第二次世界大戦前は、レースで成績を出し一躍有名となりました。第二次世界大戦中にはイギリス陸軍の軍用バイクを製造し供給していました。
そして1961年に発表したコマンドーはノートンの代名詞と言えるほどで累計5万台を売り上げる事となりました。
しかし、1976年にはイギリスのバイク業界が衰退し始め、ノートンも倒産寸前となります。その後たばこ会社の支援もあり、レースに復帰し結果を出すなどし現在に至るまでノートンのブランドは世界中で愛されてきました。
https://forride.jp/motorcycle/norton-bankruptcy
そんなノートンが、破産申請をしたと複数のイギリスメディアが伝えました。税の納付に苦心していた、期限までに納められなければ会社が清算される事になるようです。今後、ノートンブランドはどうなっていくのか。同行が気になる所です。
ハーレー・ダビッドソン
1903年に一般向けのバイクを発売したハーレーダビッドソン。その後、第二次世界大戦に勝利したアメリカは黄金時代を迎えます。1950年代には生活もより豊かになりハーレーダビットソンのような豪華なバイクはアメリカ人に受け入れられ、支持を得ました。
しかし、1960年代に入るとアメリカ経済が一転し経済が停滞してしまいます。そんな中、豪華なバイクというハーレーダビットソンは庶民向けに小型のバイクを生産するようになったのです。しかし、経済状況も低迷する中、経営は安定しませんでした。
1968年ハーレーダビッドソンは株式を公開し、AMF(アメリカンマシンファンダリー社)という機械メーカーの傘下に入る事になったのです。AMFハーレーダビッドソンと社名を改め、タンクのロゴにもAMFの文字が刻まれました。
現代にも、この時代のAMFハーレーダビッドソンの根強いファンも多くいるようです。
その後、1970年の後半からAMFハーレーダビッドソンは品質の低下が広がりを見せ、ユーザー離れを懸念したハーレーダビッドソンの役員13人が1981年にAMFから株式を買い戻し、再びハーレーダビッドソンとして独立をする事となりました。
ロイヤルエンフィールド
自転車の部品を製造販売していた企業が、第一次世界大戦開戦の2年前である1912年にバイクを発売しました。それがロイヤルエンフィールド。第一次世界大戦、第二次世界大戦と軍用バイクを製造していました。
とても頑丈な機械部分、耐久力、どんな土地にも順応して走れるという機動力があり航空機からパラシュートで投下し、空挺隊員がそのバイクで伝令を伝えるという仕事をしていたようです。
終戦後、ロイヤルエンフィールドは、一般国民が乗るためのバイクとして第二の人生を歩む事となりました。安くて信頼性の高いロイヤルエンフィールドは、一般市民の支持をうけ多くの人達に乗られる事となったのです。
しかし、1970年に倒産。インドで生き残っていたサテライト工場が本体となりエンフィールドインディアと社名変更、その後インドのバイクブランドであるアイシャー・モーターズの傘下となりました。
最後に
あまたのモデルが世に出ては、多くのライダー達に愛され、そしていつしか消えていく。しかし、ライダーの心にはいつでもそのバイクは残っている事と思います。
バイクメーカーも倒産や買収で経営が変わったとしても、そのバイクは後世にも語り継がれるのではないでしょうか。