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シトロエン・2CV…と言ってもエンスーマニア以外の方にはあまりピンと来ないかもしれない。一般的にわかりやすい言い方をすると…映画『カリオストロの城』でクラリスが乗っていた車というのが一番なのかもしれない。
ここではそんなシトロエン・2CVについて語ってみようと思う。
フランスの傑作国民車
「シトロエン・2CV(ドゥシュヴォ)」は、フランスのシトロエン社が発表した、前輪駆動方式の小型大衆車だ。1948年から1990年までの42年間大きなモデルチェンジのないままに、387万2,583台の2CVが製造された(フランスでは1987年に生産終了、以降はポルトガルでの生産)他、派生モデル数車種が合計124万6,306台製造された。単一モデルとしては、世界屈指のロングセラー車である。
「2CV」とは「2馬力」を意味し、フランスにおける自動車課税基準である「課税出力」のカテゴリーのうち「2CV」に相当することに由来するが、実際のエンジン出力が2馬力であったわけではない。非力なエンジンではあったが、優れた走行性能と居住性、経済性を兼ね備えたフランスにおける国民車的な存在となって普及し、ヨーロッパ各国でも広く用いられることとなった。
開発のきっかけ
1935年夏、シトロエン社の副社長だったピエール・ブーランジェ氏はバカンスのため、南フランスの郊外へ赴いた。彼はそこで、農民たちが手押し車や牛馬の引く荷車に輸送を頼っている実態に気付く。当時のフランスの農村は近代化が遅れ、移動手段は19世紀以前と何ら変わらない状態だったのだ。そこで、農民の交通手段に供しうる廉価な車を作れば、新たな市場を開拓でき、シトロエンが手薄だった小型車分野再進出のチャンスになると着想。1936年、シトロエン技術陣に対し、農民向けの小型自動車開発を命令する。
コンセプトは「こうもり傘に4つの車輪」
ブーランジェ氏の提示した農民車のテーマは、「こうもり傘に4つの車輪を付ける」という、簡潔さの極致を示唆するものであった。廉価、かつ自動車を初めて所有する人々でも容易に運転できることが求められた。具体的に示された条件は以下の通りである。
- 50kgのジャガイモ又は樽を載せて走れること
- 60km/hで走行できること
- ガソリン3リッターで100km以上走れること
- 荒れた農道を走破できるだけでなく、カゴ一杯の生卵を載せて荒れた農道を走行しても、1つの卵も割ることなく走れるほど快適で乗り心地がよいこと
- 価格はトラクション・アバンの1/3以下
- 車両重量300kg以下
- もし必要とあれば、(自動車に詳しくない初心者の)主婦でも簡単に運転できること
- スタイルは重要ではない
不可能な難題をクリア
技術陣をして「不可能だ!」とまで言わしめた難題だったが、ブーランジェ氏は実現を厳命した。その後の技術陣の努力によって、実現に至らなかった点があったものの、無理難題の多くが満たされた。加えて最低限に留まらない十二分な車内スペース確保も要求し、身長2m近い大男であるブーランジェ 氏自身がシルクハットを被っては試作車に乗り込み、帽子が引っかかるようなデザインは書き直しを命じた。
この「ハット・テスト」によって、最終的にこのクラスの大衆車としては望外と言ってよいほどゆとりある車内スペースが確保されることになった。
第二次世界大戦によりプロジェクトは抹消
1939年にはプロジェクトは相当に進行し、試作車が完成しつつあった。しかし、第二次世界大戦勃発後の1940年、フランスはナチス・ドイツの侵攻を受けて敗退、フランス全土の北半分は占領地となった。シトロエン社も占領軍の管理下に置かれたが、この際、開発途上だった2CVをナチスの手に渡さないため、プロジェクトの抹消が図られた。準備された250台の試作車は1台を残して破壊され、また一部は工場などの壁に塗り込められ、あるいは地中に埋められた。独自の研究開発が禁じられた困難な状況下ではあったが、ルフェーヴルら技術者たちは、ナチス側の監視をかいくぐって、終戦後に世に送り出されるべき2CVの開発を進行させた。
1948年の発表時は酷評された
1944年の連合国勝利に伴うフランス解放によって本格的な開発作業が再開され、1948年10月7日、シトロエン2CVはフランス最大のモーターショーであるパリ・サロンにおいて公に発表された。多数の観客が見守る中、除幕された2CVは、あまりにも奇妙なスタイルで、観衆をぼう然とさせたという。「醜いアヒルの子」「乳母車」と嘲笑し、居合わせたアメリカ人ジャーナリストは「この『ブリキの缶詰』に缶切りを付けろ」と揶揄したという。
そしてフランスの国民車へ
発表時の酷評はともかく、2CVが廉価なだけでなく、維持費も低廉で扱いやすく信頼性に富み、高い実用性と汎用性を有していることは、短期間のうちにユーザーたちに理解された。フランス国民も早々にエキセントリックな外見にも慣れ、2CVは数年のうちに広く普及した。街角や田舎道に2CVが止まる姿は、フランスの日常的光景の一つとなった。
シトロエン・2CVの終演
1980年代に至ると、基本設計が余りにも古くなり過ぎ、衝突安全対策や排気ガス浄化対策などに対応したアップデートが困難になった。販売台数も低下、1988年にフランス本国での生産が終了し、ポルトガル工場での生産も1990年に終了した。40年に渡る長いモデルスパンはビートルこと「フォルクスワーゲン・タイプ1」や初代「ミニ」と肩を並べるものであった。
今でも入手は比較的容易だ。フランス車はレアで目立つぞ
実用性を最重視し、きわめて合理性に富んだ機能的デザインの2CVは結果として極めて個性的かつユニークなスタイルとなり、現在でも多くの支持者を集めている。有名なところで言えば、スタジオジブリの宮崎駿氏はシトロエン・2CVの愛用者で、スタジオ・ジブリ内の自らの工房とその著作の名前に、2CVの直訳である「二馬力」を使用しているという。上記した「カリオストロの城」でクラリスが乗っていた車という点も、ここにつながってくるわけだ。
この個性的なフランスの国民車のオーナーになりたいという方は、1990年まで作られていたモデルだけあり、比較的安価で入手が可能だ。もちろん、普通の日本車気分で乗れるわけではないが、とりあえず購入してしまえば慣れるというのもまた事実だ。時には勇気を振り絞って、個性的な愛車を入手するという手もありだと思う。