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ホンダ「ドリームCB750FOUR」といえば、世界初となる並列4気筒750ccエンジンを搭載し、当時ハイパワー車として君臨していたハーレーの馬力を超える67馬力を発生させた、ホンダのフラッグシップモデルのことですね。量産オートバイとしては、世界初の200㎞/hを超えたオートバイでもあり、「ナナハン」というジャンルを作り上げたモデルでもあります。
今回は、そんなエポックメイキングなホンダ「ドリームCB750FOUR」についてご紹介いたします。
ホンダ「ドリームCB750FOUR」
1960年代当時のホンダは「スーパーカブ」の爆発的ヒットで、2輪車生産台数世界一にまで登り詰めていました。次は質と量を備えたオートバイメーカーとなるべく、トライアンフ、BMW、ハーレー・ダビッドソンといった強豪に対抗できる性能と信頼性のあるオートバイを開発しようと画策しました。特にトライアンフが750㏄クラスの空冷4ストローク3気筒エンジンモデルを開発しているという情報がプロジェクトを後押しし、1968年2月に開発がスタ-トしました。
その新型車の開発目標は以下の通りになります。
- ロードレース世界選手権で完全制覇を果たしたマシンの直系であることを感じさせること
- 4気筒&4本マフラーのエンジン構造を基調とすること
- 主要輸出先である北米市場で好評のアップアハンドルを採用
- 野性的かつダイナミックなイメージを前面に押し出すこと
- 最高クルージング時速を140km/hから160km/hと想定し、他の交通車両と比較して充分な出力余裕を持ち安定した操縦性が保てること
- 高速からの急減速頻度の多いことを予想し高負荷に対する信頼度と耐久性に優れたブレーキを装着すること
- 長時間の継続走行でも運転者の疲労負担を軽減できるよう振動・騒音の減少に努めるとともに人間工学に基づく配慮を加えた乗車姿勢・操作装置とし容易に運転技術を習熟できる構造であること
- 灯器類・計器類などの大型化をはじめとした各補器装置は信頼度が高く運転者に正確な判断を与えるものであるとともに他の車両からの被視認性に優れていること
- 各装置の耐用寿命の延長を図り保守・整備が容易な構造であること
- 優れた新しい材質と生産技術、特に最新の表面処理技術を駆使したユニークで量産性に富んだデザインであること
1968年夏頃にはプロトタイプが完成し、実走テストを開始。1969年1月にはアメリカ向け仕様車「ドリームCB750FOUR」を発表。1969年夏に販売となりました。
空冷4ストローク4気筒2バルブSOHCエンジンを搭載
ダブルクレードル式のフレームに搭載されたのは、空冷4ストローク4気筒2バルブSOHCの高性能エンジン。排気量は736ccで、最高出力67ps/8,000rpm、最大トルク6.1kg-m/7,000rpmという当時では驚異的なハイスペックをマークしました。さらに変速機は5速トランスミッションを搭載。エキゾーストマニホールドならびにマフラーは開発目標通り4本出しとなりました。フロントブレーキはディスクブレーキですが、これは創業者である本田宗一郎氏の鶴の一声で採用されたと言われています。
世界最高級のハイスペックを実現
かくして完成したホンダ「ドリームCB750FOUR」は、736ccの排気量でありながらハーレーのビッグツインモデル(1300cc)の66馬力を上回る67馬力をマークし、また量産オートバイとしては、世界初の200㎞/hを実現するというハイスペックぶりを発揮しました。
発売後は受注が殺到!
とうぜん登場するなり大ヒットを記録します。発売後は受注が殺到。当初は1日25台だった生産計画も、急遽100台以上にまで膨れ上がりました。クランクケースやオイルパンも初期型は砂型鋳造でしたが、ダイキャスト金型による生産へ切り換えられました。
「ナナハン」という名称の元祖
ドリームCB750FOURは、よく言われる“ナナハン”という名称の元になったことでも知られています。この”ナナハン”という愛称は、元々はプロジェクトにおけるコードネームだったそうです。それが元となって、未だに語り継がれているのですから凄いですよね。
ちなみに当時の人気漫画『ナナハンライダー』の主人公が乗っていたのも、確かに「ドリームCB750FOUR」でした。同じく人気漫画『ワイルドセブン』の主人公、飛派ちゃんも「ドリームCB750FOUR」に乗っていました。当時「速くてカッコいいバイク」と言えば”ナナハン”だったのです。
もっとハイスペックになる予定だった!?
「ドリームCB750FOUR」の逸話ですが、本来はもっと高出力なエンジンになる予定でした。しかし、実際にテストを行うと、タイヤがバーストしてしまったり、チェーンが切れるなどのトラブルが続出しました。チェーン、タイヤの技術が「ドリームCB750FOUR」のスペックに追いついてこれなかったのです。その為、安全性を考慮してスペックを落としたのが67馬力だったのです。
ちなみに、このとき履いていたタイヤはブリジストン製でしたが、これを恥ずべきことだとし、後に「ドリームCB750FOUR」専用のタイヤを作ったとのことです。
レアモデルは約1,520万円で落札!?
かくして、当時としては先進的な技術が採用された世界最高級バイクであるホンダ・ドリームCB750FOURは、幾多の記録を塗り替えつつ、1978年、後継モデルの「CB750K」への移行に伴い生産終了となりました。しかし、生産終了から40年以上経った現在でも、ドリームCB750FOURの人気は衰えることはありません。
これは特殊な例ですが、アメリカのオークションサイトではドリームCB750FOURのプロトタイプが出品され、14万8100ドル(約1,520万円)で落札されたとのことです。
4台しか作られなかったプロトタイプだからこそ、跳ね上がった落札金額ではありますが、量産型でもCB750K0(1969年モデル)などは相当な高値で取り引きされています。
それでは、名車のサウンドを動画でご確認ください。
いかがだったでしょうか。ドリームCB750FOUR…やはり今見ても色褪せない、名車中の名車ですよね。本田宗一郎氏の夢だったということが由来し「ドリーム」を冠したホンダのフラッグシップモデル…何歳になっても憧れてしまうバイクの筆頭です。