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誰もが一度は目にしたことのあるチョッパー。
1969年に公開された、アメリカン・ニューシネマの代表作である「イージー☆ライダー」。
世界中に数えきれないほどの熱狂的なファンが多く、1998年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されている。
登場するパンヘッドエンジンを搭載した2台のチョッパーは、この映画の象徴的な存在。まさにチョッパーを絵に描いたようなスタイルで、世界一有名なチョッパーと言える偉大な車両である。
キャプテン・アメリカ号とビリー号は誰が作ったのか?
そう言われてハッとした人もいるだろう。
大半の方が、「イージー☆ライダー」に出てくる2台のチョッパーというだけに着目してしまい、誰が作ったかまで気が回らないだろう。
2台とも、それぞれ撮影用に3台もしくは4台作られたというが、では、この数台のチョッパーはいったい誰が作ったのか。
もし、アナタが映画製作会社の立場になって考えてもらいたい。
まず、何が先に立つかた。そう、製作費である。
有名な凄腕ビルダーに製作を依頼したのでは、とんでもない金額になってしまう。
それに、もし有名ビルダーに製作を依頼していたのであれば、その名前を使ったPRがあってもおかしくないはずだ。
ということは、おそらく無名で、相当腕が立ち、さらに安く仕上げられるビルダーにオーダーをするだろう。
この時代のアメリカはまさに白人至上主義社会である一方、実はその影で黒人ビルダーや黒人バイカーたちの動きが垣間見れる時代でもあったのは諸説あると同時に、筆者の取材に基づいたところ、それは確かな事実でもある。
そう、もうお分かりだと思うが、この2台を製作したのは黒人のビルダーだったのだ。名は「ベニー・ハーディー」。しかし無論、そのことは当時最後まで公されることはなかった。
1969年当時と言えば、黒人への差別撤回を求めて起きた公民権運動が収まる以前であり、何より代表的な指導者の一人であったキング牧師が暗殺されて間もないという時。
まさに、人種間の問題を抱えていた当時のアメリカならでは話である。