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戦前戦後のオートバイ黎明期には、日本国内で数多くの二輪メーカーが誕生しては消えていった。
今回は、そんな今はなき二輪メーカーについて探っていきたい。
メグロ(目黒製作所)
バイク製造:1937-1964年
1937年、最初のメグロ号「Z97」を発売し好成績を残したが第二次大戦の激化とともに二輪事業は中断、航空機の部品を製作するようになった。
戦後は再び二輪事業に戻り、最盛期の1959年には市場での人気を得た「メグロ・S3」などの好業績により年間15,000台のバイクを生産していた。
1960年に川崎重工業と提携したが、1963年に傘下へ、そして1964年には事実上倒産し吸収された。
ちなみに並列2気筒500ccの「メグロ・K スタミナ」というモデルは、カワサキのWの原型としても有名。
富士産業
バイク製造:1947-1968年
終戦後GHQにより財閥解体の対象となった「中島飛行機」が、1945年に「富士産業」と改称された。
1947年に当時の技術者たちが、アメリカ製スクーター「パウエル」を手本に開発したのが「ラビットスクーター」である。
「ラビット」シリーズのスクーターは、モデルチェンジを繰り返しつつ1968年まで生産された。
陸王
バイク製造:1934-1959年
陸王とは、かつて日本で製造販売されていた二輪車のブランドで、ハーレーダビッドソンの輸入を行っていた製薬会社の三共(現第一三共)の多角経営策で設立された傘下企業の「日本ハーレーダビッドソンモーターサイクル(後の三共内燃機)」で生産されたバイクのことである。
ハーレーダビッドソンの日本での現地生産について正式なライセンスを得て生産を開始した日本ハーレーダビッドソンモーターサイクルは、1935年には社名を「三共内燃機」に変更、日本製品としてのイメージを高める意図の公募により「陸王」という日本名が付けられた。
第二次大戦中(終戦直前)は生産が停止したものの、戦後すぐに復活したが、1949年には倒産を余儀なくされた。
その後、昭和飛行機の資本傘下で別会社の「陸王モーターサイクル」が事業を継承したが、他社の技術開発競争に競り負け1960年には倒産した。
三菱重工業
バイク製造:1946-1964年
「中日本重工業名古屋製作所」の代表作が三菱・シルバーピジョンであり、1946年から1964年まで製造販売されていた。
ちなみに中日本重工業という社名でスタートしてから、新三菱重工業、三菱重工業と社名を変更している。
平和の象徴”ハト”の愛称を与えられたこのスクーターは、富士重工業が生み出したラビットとともに戦後の日本の庶民の足として活躍した。
1950年から1964年まで国内のスクーター市場の約45%のシェアを誇るほどの人気であったが、1964年の三菱自動車工業の発足と時を同じくして、シルバーピジョンは生産終了となった。
トーハツ
バイク製造:1950-1964年
「トーハツ株式会社」は、1922年に設立された「高田モーター研究所」が前身である。1939年には「東京発動機株式会社」と名を改めている。
二輪事業に着手したのはホンダより若干遅く、1950年の前輪駆動バイク「トーハツ・パピー」が処女作である。
当時はメーカーごとに得意な分野があり、4ストローク大型車はメグロやキャブトン、2ストローク小型車はトーハツが代表的なメーカーだった。やがてヤマハやスズキといった後発メーカーが優れた2ストローク小型車を販売するようになり、東京発動機は1964年に倒産、会社更生法の適用を受けた。「トーハツ株式会社」は会社更生法適用後の社名である。
丸正自動車
バイク製造:1948-1961年
「丸正自動車製造株式会社」は本田宗一郎氏の経営する会社の従業員だった伊藤正氏が、1948年に自動車ボディーを製作業する「丸正商会」を設立したのが前身である。
最初に設計した二輪車がベルトドライブの「タイガー号」であった。次にシャフトドライブを採用した「ライラック号」を発表している。
ライラック号は名古屋TTレースや浅間火山レースにおいて好成績をおさめたが、この頃から経営不振に陥り、1961に倒産、1967年廃業した。
ブリッヂストン
バイク製造:1952-1971年
1949年に「ブリッヂストン自転車株式会社」として設立。1952年に、二輪車製造は自転車バイク用エンジン(モペット)から始まり、1959年に「チャンピオンシリーズ」を発売し、1960年には「ブリヂストンサイクル工業」と社名を変更している。また、1964年には、ロータリーディスクバルブ機構の空冷2サイクル「ブリヂストン90」を発売した。国内販売は1966年で終了したが、海外では1971年まで生産が続いた。 親会社はもちろんタイヤメーカーのブリヂストンである。
いかがだっただろうか。
今回紹介したメーカー以外にも、宮田製作所や丸善工業など、オートバイ黎明期の日本には数多くのメーカーがあった。
そのため一気には書ききらないが、順を追って紹介していきたい。