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第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国と東側諸国との対立構造、いわゆる東西冷戦(米ソ冷戦)の時代に存在した「MZ」というバイクメーカーをご存知でしょうか?とても古いメーカーですので、知っている方はかなりのバイクマニアかもしれません。
そんな、知る人ぞ知るバイクメーカーMZの超希少なサイドカーモデル「ETZ250」が日本で発見されましたのでご紹介いたします。
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旧東ドイツに存在したオートバイメーカー「MZ」
「MZ」は東西冷戦時代、旧東ドイツに存在したメーカーで、この時に生産されたものは仕様も少し変わっていました。2サイクル単気筒で燃料はオイルとガソリンの混合方式で、2サイクルに多くある燃焼用のオイルタンクは用意されておらず、給油する場合はレーシングマシンのようにガソリンとオイルを混合する必要がありました。ラインアップは125ccや250ccクラスがほとんどで、当時の東ドイツの警察車両としても採用されました。
話は変わりますが、ある日本人のエリート商社マンが社の命を受けて1980年代にキューバに赴任しました。この時代は日本の年間総輸入の約60%を大手の6大商社が担っており、多くの日本人商社マンが世界中を飛び回っていました。そんな大手商社M商事に勤める彼は、キューバ政府協力のもと、あるプロジェクトを任されて積極的に仕事をこなしていました。
古くからキューバは社会主義国として西側諸国と距離を置いていましたが、いくつかの日本の大手商社はキューバ特産のさとうきびや葉巻などに目を付け、この国に進出していました。当然この国で事業を行うには政府の許可や協力が必要で、多額の投資(平たく言えばお金)が必要だったようです。
当時のキューバの国家元首は国家評議会議長であり、革命家、軍人そして弁護士でもあったフィデル・カストロ氏でした。なお、彼の右腕として通商部門やゲリラ指導者を担当していたのはエルネスト・チェ・ゲバラ氏でした。彼はカストロ政権の中でも重要な地位にあり、経済政策や対外交渉において大きな役割を果たしていました。
特に彼は広島に興味を持っており、後に娘や息子も広島を訪れています。そんな彼の業績により、キューバと日本は通商協定を締結しました。
カストロ氏からのプレゼントはMZ「ETZ250」
閑話休題、そんな関係のおかげかは分かりませんが、先の商社マンはカストロ氏とかなり親しい関係だったようです。むしろ「かわいがってもらった」といった方が適切かもしれません。ただ、この商社のプロジェクトは結果的には縮小となり、彼は日本に戻ることになりました。帰国が決まった時に、お世話になったカストロ氏に報告と今までの謝辞を伝えたところ、カストロ氏から“あるプレゼント”が渡されました。
それがMZ社製の「ETZ250(サイドカー付)」でした。彼はさほどバイクに興味はありませんでしたが、カストロ氏からの贈り物だったため高額な輸送費を払って日本に送りました。
帰国後、どうしても運転してみたくなり、エンジンを一度かける前に陸運局で登録を済ませました。そして始動し、ほんの数キロだけ走行しました。その後も月に一回程度、やはり数キロだけ動かし、何度かそれを繰り返した後、そのままガレージで眠ることとなりました。それから数十年が経ち、現在彼は93歳となり、ある老後施設で余生を過ごしています。
彼の知り合いの自動車修理店は、このサイドカーをガレージで大切に保管していましたが、先日、彼の承諾を得て登録を抹消し、新しいオーナーに譲りました。
この「ETZ250(サイドカー付)」は、かなりレアなオートバイであることは間違いありません。今回取材するにあたって色々と調べてみましたが、日本はもちろんアメリカやヨーロッパでも希少なモデルです。
バイク本体はガレージに保管されていたので非常に美しい状態で、塗装も純正のまま残っており、サビなどの腐食もほとんど見当たりません。走行距離も新古車レベルですので、希少価値はさらに高いでしょう。
そしてこの車両で注目すべきは、純正のサイドカーが付いていることです。薄れていて肉眼ではわかりづらいですが、ちゃんとメーカー名「VEB」とシリアルナンバーが刻印されています。VEBは旧東ドイツの工業系国営企業であり、バイク本体にも書かれている「IFA」という旧東ドイツの自動車メーカーの企業連合である車両製造工業協会のマークとも一致します。
おそらく、当時の東ドイツ政府がキューバ政府に自国の工業品として贈ったものだったのでしょう。アメリカの旧車専門のバイク関係者に問い合わせてみましたが、「純正サイドカー付なんてあったの? オークションに出品してほしいな」と言われました。イギリスのクルマやバイク専門のバイヤーにも問い合わせましたが、生産台数が非常に少なく相場がわからないとの返答でした。
ちなみに、このバイクの年式は1986年ではないかと推測します。なぜなら、最初のオーナーがキーホルダーに車名と一緒に「1986」と書いていたからです。ただし、この1986年が製造年なのか、キューバでプレゼントされた年なのかは不明のままです。
40年以上前に、海を渡って遠い異国の地で一生懸命働き、国の最高責任者から帰国の際にプレゼントされたサイドカー付きのバイク。長い年月といくつもの国を渡り歩いてきましたが、最終的に落ち着く場所はどこなのでしょうか。
「MZ ETZ250」の貰い手はあのバイク屋兼自転車修理店
なおETZ250の新しいオーナーは、当サイトでも過去にご紹介した中野にあるバイク屋兼自転車修理店です。あの時紹介した「RD350」の1974年型最終型や、「RD400」の1975年の初年度型はどちらも数千キロしか走行していない極上車ですが、価格表も付られぬまま今でもポツンとお店に置かれています。
数年前には、Z1000の白バイ仕様を2台所有していましたが、超入手困難な新品の純正ピストン4個をおまけに付け、信じられないほど安価で販売するほどの良心的なお店です。ETZ250のサイドカー付がこの店にやってきたことになぜか運命を感じてしまいますね。
世俗的な疑問ですが、仮にETZ250に値段をつけるとしたら、販売価格はいったいどれほどになるのでしょうか……。それもまた気になります。
https://forride.jp/motorcycle/rd350-400_auction
以上、MZ社製のサイドカーモデル「ETZ250」と、その背景についてのお話でした。超希少なバイクを前オーナーが入手するまでの経緯が織り交ぜられた実に興味深いエピソードでした。もしもETZ250の現車を確認したいor買いたいと思った方は、中野にあるバイク屋兼自転車修理店(以下参照)にお問い合わせください。