バリバリ伝説した走り屋全盛期のバイクたち!懐かしい名車を振り返る

バイクマンガの金字塔である「バリバリ伝説」。1983年から1991年まで週刊少年マガジンで連載され、当時の空前のバイクブームを反映したかのようなリアリティのある内容から、爆破的な大ヒットを生んだマンガです。登場してきたバイクも当時を代表するような名車ばかり。作品のすべてについて言及していると原稿が足りなくなってしまうので、今回は主に第一部に注目してご紹介します。

 

イニDで知られるしげの秀一氏の出世作「バリバリ伝説」

バリバリ伝説は、講談社の週刊少年マガジンに1983年から1991年まで掲載されたバイク競技を題材としたマンガ作品で、全38巻の単行本が出版されました。

作者のしげの秀一氏は、バリバリ伝説の連載を皮切りに大人気マンガ作家となり、のちに大ヒットした頭文字D(イニシャル D)を世に送り出しました。

 

主人公である高校生の巨摩郡(コマグン)は初登場時、高校2年生で峠を猛スピードで走る俗にいう走り屋でした。そしてライバルだった聖秀吉(ヒジリヒデヨシ)や仲間たちと共に鈴鹿4時間耐久レース優勝を目指し、最終的に世界最高峰のロードレース世界選手権500ccクラスに出場するまでになります。

 

作品は、全三部に分かれています。第一部は高校生のグンがヒデヨシと峠で速さを競い合い、鈴鹿4時間耐久レースでヒデヨシとペアを組み出場するまでを描き、第二部は大学生になったグンが全日本ロードレース選手権250ccクラスに参戦するストーリー、そして第三部はグンがホンダ NSR500を駆ってロードレース世界選手権500ccクラスに参戦。世界タイトルを追うストーリーが描かれています。

作品をおさらいしたところで、舞台を彩ったマシンの数々を見ていきましょう。

 

主人公の愛車「ホンダ CB750F」

ホンダ CB750F(1981)

グンが登場時から乗っていたのが、ホンダCB750Fです。ホンダで初めて750cc直列4気筒DOHCエンジンを搭載したモデルで、今でいうリッタースーパースポーツバイクと同じようなフラッグシップモデルといえます。

当時、ヤマハ RZ350やホンダ CBX400Fなど、峠では400cc以下180kg程度のバイクが主流だったなかで、グンは車両総重量250kgもあるCB750Fを手足のように操り、峠のなかでは跳びぬけて速い存在を誇っていました。

しかも当時は大型二輪免許取得が一発試験のみで合格率は数パーセントだった時代。高校生ながら大型二輪免許を取得できたことも驚異的です。

 

永遠のライバルが駆った「スズキ GSX750Sカタナ」

スズキ GSX750S(1982)

ヒデヨシはスズキGSX750Sカタナに乗っていました。名車カタナシリーズといえば、1100ccが最大排気量として知られていますが、当時は国内で正規販売されていた中では排気量750ccが最上級モデルでした。

といっても車両自体はCB750F同様に車両総重量250kgとかなりの重さ。しかもヒデヨシは身体が小柄で大型バイクに乗るのは圧倒的に不利というハンデを抱えながらも、絶妙なテクニックで乗りこなし、グンより洗練されたライディングを披露していました。グンとヒデヨシはいつも峠でバトルをし、互いにライディングスキルを磨きあう存在となっていたのです。

 

じゃじゃ馬社長令嬢が愛した「ホンダ VT250F」

VT250F(1982)

グンたちの通う高校の同級生、一ノ瀬美由紀(イチノセミユキ)が乗っていたのがホンダVT250F。高回転型のV型2気筒DOHCエンジンを搭載し、当時2ストロークエンジンが主流だった250ccクラスをあえて4ストで挑戦した革新的なモデルでした。

低回転から高回転までスムーズに回るエンジンや、取り回しのしやすいコンパクトで軽量な車両が消費者から支持され、250ccクラスにおいて日本市場で初めて販売台数10万台を達成した国産250ccクラスのなかでは名車中の名車です。

 

ちなみにミユキは大企業の社長令嬢で、グンたちが鈴鹿4時間耐久出場のために所属したイチノセレーシングクラブのオーナーとしての顔も持っています。自らも峠でバイクを操り、鈴鹿4時間耐久レースにはオーナーでありながらライダーとしても出走したほどのじゃじゃ馬娘です。

 

努力の人とともに「カワサキ Z400GP」

Z400GP(1983)

カワサキZ400GPは、グンの親友で同じ高校に通う沖田比呂(オキタヒロ)の愛車。カワサキZシリーズを自動二輪免許でも乗れるよう、欧州向けに販売したZ500を400ccまで縮小させて登場したZ400FXの後継モデルです。当時、アンダー400ccクラスにおけるメーカー間の開発競争が激しく、モデルチェンジも頻繁に行われていたため、Z400GPは1982年の発売からわずか1年で生産終了となり後継モデルGPz400へと引き継がれました。

生産台数が非常に少なかったことから、今では中古車価格の相場が100万円以上もします。

 

ヒロはグンと一緒に峠を走りグンよりも走りの才能が乏しかったものの、ミユキとのペアで挑んだ鈴鹿4時間耐久レースでは、出走前からトレーニングに勤しんだ努力の人。チーム監督からは、もっとも成長したのはヒロと称されたほどです。

 

グンの戦友が好んだ「ヤマハ FZ400R」

ヤマハ FZ400R(1984)

イチノセレーシングのメカニックだった太田信一(オオタシンイチ)は、ヤマハFZ400Rに乗っていました。当時400cc4ストと250cc2ストが出場できたF3クラスにおいて、ヤマハがライバルに対抗すべく作り出したモデルです。

 

1980年代のF3クラスは出場台数が非常に多く、鈴鹿4時間耐久レースでも争われてたほど。そのため、ホンダからはCBR400F、スズキからはGSX-R400と当時の最先端技術が投入されたモデルが販売されていたため、これらに対抗すべくFZ400Rは59馬力を発揮するエンジンやアルミ製スイングアームと、ヤマハの最もエポックな技術ともいわれるモノクロスサスペンションなどを採用し、F3クラスで活躍していました。

それと共に、ストリートでもFZ400Rのユーザーが増えていき、のちに後継モデルのFZR400R/400R-SPが登場。ヤマハ製4スト400ccバイクの礎を築いたモデルでした。

 

シンイチはイチノセレーシングだけでなく、第三部でグンの乗るNSR500のメカニックも担当し、グンと共にレースを戦っていったグンの戦友ともいえる存在になります。

 

グンの次なる愛馬「ホンダ NS400R」

NS400R(1985)

こちらは第二部になりますが、グンがCB750Fの次に乗ったのがNS400Rです。1980年代前半に活躍したホンダのファクトリーマシン NS500のレプリカモデルで、400cc水冷2ストロークV型3気筒エンジンを搭載していました。

 

グンが進学した大学では、裏山サーキットでタイムトライアルが行われており、グンは飛び込み参加にも関わらずあっさりとコースレコードをたたき出します。このとき、裏山サーキット内のコークスクリューと呼ばれる、急坂でタイトなシケインをグンはフロントタイヤをリフトさせたウイリー状態で切り返し、見ていた参加者を唖然とさせました。

このシーンの鮮烈さはNS400Rの人気が実際に急騰したほどです。しかし、62万円というコンパクトカーのホンダ シティと同等な価格設定だったこともあり、大半のライダーにとっては高嶺の花。当時の走り屋にとっては憧れのバイクでした。

 

鈴鹿の耐久レースに臨んだ「スズキ GSX-R」

スズキ GSX-R(1984)

グンたちが鈴鹿4時間耐久レースに出場する際に、使用したバイクがGSX-Rのレーサー仕様でした。400ccだったGSX-Rは、1984年の発売直後モデル名に400が付いておらず、後になってモデル名がGSX-R400、そしてGSX-R400Rへと変わっていきました。

また現在に続く、GSX-Rシリーズの中で最も初めに発売されたモデルでもあり、59馬力を発揮するエンジンと軽量のアルミフレームを採用して乾燥重量152kgを実現し、価格は62万9,000円。当時の市販400cc4スト4気筒クラスで最軽量・最高値のフラッグシップスポーツでした

 

作品のなかでは、イチノセレーシングでグンとヒデヨシ、ミユキとヒロがそれぞれペアを組みレースへ。ヒデヨシが途中コースアウトしてマシンを破損しながらも、バイクを押してピットになんとか戻り、修理を経てグンへライダーを交代しました。グンは猛烈な追い上げを見せ、一時は鈴鹿サーキットのF3クラスコースレコードを樹立するほどの速さを発揮。そして最終ラップ、最後のシケインでトップを追い抜き、見事勝利を収めました。

 

バイク全盛期の熱狂を今一度!

バリバリ伝説は当時の走り屋やアマチュアレーサーにとってバイブル的なマンガでした。当時を知る方にとっては憧れのバイクが多数登場しますし、なんだか昔の熱狂を思い出してしまいそうです。

古き良き国内バイク全盛の時代を振り返るもよし、当時の気分を味わうもよしのバリバリ伝説を一度はぜひ読んでみてください。

本田技研工業株式会社

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池田勇生

池田勇生

バイク・クルマ・モータースポーツをさまざまな視点で執筆活動をしているフリーライター。特に80~90年代の旧車や2ストロークバイクが得意です。