この記事の目次
前回の記事では、主にロッカーズの発祥とその隆盛の過程で大きな影響のあったものについて触れてみました。
今回の記事では、ファッション・スタイル・カルチャーとしての流れやキーワードとなるあれこれについて紹介します。
Rockersを取り巻くミュージックシーンとファッションムーブメント
かつてファッションリーダーは王侯貴族たちでした。しかしながら啓蒙思想を経ての民主化による富の再分配が進んだことにより、19世紀末には特権階級の没落がはじまってしまいます。
1930年代のアメリカでは、黄金期のハリウッドスターや世界恐慌と禁酒法を逆手にとったマフィアたちが富と伊達と粋を競い、イングリッシュ・ドレープスーツを基本としながらその特徴を極端にした、バギースーツと呼ばれるスーツスタイルが流行します。
1940年代にはそれらがさらに極端になった、ボールドルックやズートスーツといったスタイルへと変遷していきますが、根幹がテーラードスタイル(いわゆる仕立ての背広)であることには変わりない上に、保守的なイギリスではそれほど流行りませんでした。
急変したのは1940年代後半からで、それまである意味裕福な大人の嗜みであった”ファッション”が、その時代時代に流行った音楽とともに若者のものへと変遷していき、ロッカーズはそのほぼ最初期にあたるものです。
テッズ=テディボーイズ(1940年代後半~1950年代)
「テディ」はエドワードの愛称で、エドワードジャケットといわれる、20世紀初頭(イギリスのエドワード朝期)に貴族層が着ていたものを真似た、丈の長い背広型上着にコテコテのリーゼント。アメリカのズートスーツの影響も見てとれます。
日本でも80年代ぐらいまで「クリームソーダ」という’50sショップが、こういう服やグッズをたくさん売っていた記憶があります。
Rock-A-Billyと呼ばれる音楽に傾倒し、ツイストを踊りまくるといったスタイル。
ロッカーズ(1950年代後半~1960年代後半)
前稿で述べた、アメリカにおける映画やバイカースタイルに強い影響を受けたもの。
典型としては、黒革ダブルの革ジャンパーに、革パンまたはブルー / ブラックジーンズ、エンジニアブーツにリーゼントでバイクに乗るという男くさいいでたち。
Rockersと書いて字のごとし?Rock’n-Rollに影響を受けた若者のファッションやスタイルを示しています。
ちなみにRock-A-BillyとRock’n-Rollの違いは、前者がCountry Music(白人音楽)寄り、後者がRhythm and Blues(黒人音楽)寄りとなるようですが、正直なところ筆者にはよくわかりません(笑)
モッズ=モダーンズ(1950年代後半~1960年代後半)
油で固めない下ろした髪に細身のスーツで、R&Bやソウル、スカ・レゲエや、それらの影響によるより新しいスタイルのロックを好み、(服を汚さないため)スクーターに乗るというスタイル。
高感度の最先端を気取ったモッズ達がロッカーズを「時代遅れ」と罵る構図で互いに敵対していたようです。
モッズとロッカーズの小競り合いが暴動事件に発展した「ブライトンの暴動」は、前稿での「The wild one(邦題:乱暴者=あばれもの)」と同様に、その後制作・公開された映画「Quadrophenia(邦題:さらば青春の光)」の元ネタにもなりました。
モッズ以降
後期ロッカーズたちのワッペンやメタルバッヂで装飾した革ジャンは、その後の70年代パンク、80年代ヘヴィメタルでの黒革ライダース+スタッズといったスタイルの源流であるのは間違いないでしょう。
ACE CAFE
「ACE CAFE London」はイギリスの首都ロンドンの北西部に、1938年に当時初の24時間営業のロードサイドカフェ(日本でいうところのドライブイン)として誕生しました。
そこそこの駐車スペースに加えての24時間営業ということもあり、自慢の愛車で乗り付けて・・・・・・あるものは賭けレースの相手を探し、あるものはチューニング談義に興じ、またあるものはガールハントに精を出す等、Rockersたちの恰好の溜まり場となっていったのは、現代日本での主な例として大黒パーキングエリアが、週末にたびたび閉鎖されるようになった経緯と変わらないであろうことは想像に難くありません。
実のところACE CAFE LONDONは全盛期以降の時代や流行の変化に追随できずに1969年に一度閉鎖されており、その後長らく倉庫として使用されていたものが、有志により2001年にリオープンされたものが今に至っています。
現在のところ日本でのカフェとしての営業はされていませんが、ライセンスにおるアパレル展開がされており、数々のグッズをバイク用品店で見かけることができるのは皆さまも知ってのとおりです。
59CLUB
ロッカーズの画像を見て廻っているとよく見かける、「59」または「FiftyNine」といったステッカーやワッペン。
これは当時「不良」として世間から見られていたロッカーズ達を救済しようと、自身もバイク乗りであった神父が1959年に教会を溜まり場として提供したのが始まりと言われています。
後に「伝説のクラブ」と祭り上げ、所属することが「名誉」云々というところまで持ち上げられたりもしますが、当時の実情としてはもっと軽~い感じだったようです。
TON-UP
ロッカーズの別名として、Leather boysやCoffee-bar-Cowboys、Ton-up boysといったものがあります。
レザーボーイズやカフェバーカウボーイズはまだ判るとして、トンナップとはなんだろう?
Tonは「たくさん」を意味するもので、重さの単位のトンもそこから来ています。ロッカーズの場合でいうたくさんは「100マイル」。(街道レースで)160km/h以上で走る小僧どもといった感じでしょうか。
ちなみにロッカーズのスタイルの典型に白いスカーフやマフラーもありますが、あれは160km/h以上出したことのある証だそうです。自己申告で良かったのか、厳密に区間タイム等を計測・計算しての公認なのかは定かではありませんが……
何かそういうエピソードを他でも聞いたことがあるような気がして、ボンネビルあたりだっけ?と漠然と考えていましたが、ふと思い出せたのはコレでした(笑)>R200Club
まとめ
少しばかり尻切れトンボな感もありますが、調べれば調べるほどに面白いエピソードが山盛りで、とても2000文字程度の2記事で網羅できるものではありませんでした。
興味の湧いた方は是非ご自分でも調べてみてください。
またの機会があれば、今度は当時モノのマシンとそのチューンのポイントについて触れてみたいと思います。