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古来よりヘビーデューティな防護服として用いられる革ウェアー。
古代~中世をモチーフとしたRPGの中では「かわのふく」とか「かわのよろい」「かわのたて」等で登場し、序盤から中盤の護りの要になったり「すばやさ」が重要なキャラクターの主装備となったりしますね。
18世紀以降に銃砲が当たり前の時代になって個人防護が無意味になったことから、戦いのための装備としてはほぼ完全に廃れてしまいましたが、モーターサイクルにおける革ウェアの歴史は、それらの防護服としての流れを汲みながら、ちょうどほぼ同時期に発明されて普及発展した飛行機とも関係深く進行することになります。
飛行服と歩みを共にした創成期
20世紀初頭までの、与圧はおろかキャノピーさえないオープンコクピットの飛行機において、しなやかな動き易さを兼ね備えた防風性能において革以上のものはありませんでした。当時としては試行錯誤の結果と思われますが、アウターシェルとして革を用いて防風し、インナーで保温しながら、一定の透湿も見込める…… と現代知識で追証してみることができます。
防風・防寒性能を高めるために考案されたり従来の他分野の服から持ち込まれた、ネックストラップ・ウェストベルト・スリーブベルト・リブニット・深い前あわせといった、様々なディテイルが普遍化されつつ、当初は「コート」的であった動きにくく邪魔になる着丈はより短くなり「ジャケット・ジャンパー(ともに上着の意)」となっていきます。
モーターサイクルウェアも防風・防寒という目的は同じところで、共に流用・共用したり類似のディテールとなっていきますが、1940年代後半にはナイロン等の化学繊維が実用化されて普及し、細く強い繊維を緻密に織ることで防風性能を高めながらも、薄くて軽い(動き易い)生地が作られるようになったことと、コクピットが完全閉鎖されて与圧・空調されることも一般的になったため、実用飛行服としての革ウェアは廃れていきます。
しかしながら、モーターサイクルウェアと革の親和性は、防風だけに留まらない面があります。
転倒時の衝撃吸収・透湿調湿・耐熱性・耐擦過性・良好な擦過経過性能(※)においては、それらをバランスしながらコストを同レベルに抑えるとなると現代の新素材でも凌駕できないところも多く、今に至るまで革ウェアは「ライダーの正装」として君臨しています。
(※)路面と擦れながら適度に滑ることにより運動エネルギーを漸減(化学繊維は熱に弱く、極度の摩擦熱では溶けて穴が開いたり破れたり、溶けて路面に食いつくことにより慣性のベクトルが急変して人体ダメージに繋がることも)
「革ジャン」の隆盛
きっかけと考えられる出来事や世情については、以前ご紹介した記事のとおりです。
単にファッションとしての意味合いも決して小さくはありませんが、バイク乗りに適した服としての実用性もあってこそであろうことは想像に難くありません。
アメリカ型? イギリス型?
前項で述べた流行の過程で、米英それぞれの典型としての特徴が見受けられるようになりました。
アメジャン・アメジャケ
典型としては「Schott」の「ワンスター」「パーフェクト」あたりでしょうか。
「ワンスター」は前項で紹介したマーロン・ブランドが映画の中で着ていたと言われているもので(※)、「パーフェクト」はワンスターの品番を引き継ぎながら表皮素材を拡充したり細部をリファインされたものです。
全体的にゆったりとした作りにくわえ、肩の背中側にアクションプリーツを設けることにより、腕を前に出しやすくなっています。
(※)本当は違います(笑)
ロンジャン、ロンジャケ
「ロン」=「ロンドン」で、こちらの典型としては「ルイスレザー」の「ライトニング」や「サイクロン」あたりでしょうか。
スーツ(背広)での典型と同様に、アメリカらしい合理的な大量生産によって幅広い人への購買力とフィッティングを考慮したとはいえ、個々の好みや見方によってはルーズで野暮ったいフィッティングに見えるアメリカ型に比べると、仕立て文化の影響の強いイギリスで育ったものだけあって、万人に向けて余裕をもたせてあるぶん重心の低いアメリカ型と比べると、着丈が長めで重心は胸のあたりの高い位置となり、上衣単体で見ても非常にシャープで端正な仕上がりとなっています。
それだけに個々に細かく合わせたサイズを展開するには効率が悪いといえ、もちろん品質の高さによるものもありながらも、価格は大きく上昇せざるを得ないといったところでしょう。
アメリカ型と違ってウェストベルトがサイドになっているのは、前傾姿勢をとった際にタンクを傷つけないため…… というのが定説になっています。
初期はカッティングとフィッティングが適正であれば不要として肩まわりのアクションプリーツをつけられることはありませんでしたが、近年のモデルにおいてはより動き易くを求めるユーザーのために?細かなサイズ展開を抑えるために?プリーツを設けたモデルもあるようです。
かつて「あんたの時代はよかった、男のやせ我慢粋に見えたよ」と1940年代を指して歌いながら霧を吹く歌手がいましたが、男の生き方から仕立て文化にも連なる「やせ我慢の美学」は合理性と安楽の前では、この分野でも失われつつあると見るべきでしょうか(笑)