近々トヨタが小型のスポーツカーを発表するという。トヨタが誇る小型スポーツカーと言えば、トヨタ「スポーツ800」、通称”ヨタハチ”を思い浮かべるが、案の定、ヨタハチの後継機だという。
大変、残念ながらイメージカットを見た限りでは、ヨタハチの成分はカケラほども見受けられなかったが、ともかくヨタハチの後継機だとのことである。浮谷東次郎が伝説のレースを見せてくれたヨタハチ、ホンダ「S600」のライバルであるヨタハチ、クレイジーケンバンドの歌詞にも度々登場するヨタハチ。若者は存在すら知らないであろうヨタハチ。というわけで、今回は伝説の小型スポーツカーとしても知られるトヨタ「スポーツ800」について語ってみようと思う。
トヨタスポーツ800=ヨタハチ
トヨタ「スポーツ800」とは、その名が示している通り、トヨタ自動車が製造した小型軽量のスポーツカーである。上記したように「ヨタハチ」の通称で親しまれている。非力なエンジンを搭載しながらも、軽量で空気抵抗に優れたボディにより、高性能を発揮したことでも知られる、1960年代の日本製小型スポーツカーを代表する一台である。
シャーシとエンジンはパブリカを流用
開発当初は「パブリカ・スポーツ」の名称で進められていたことからもわかるように、当時トヨタが生産していた最小のモデルである大衆車、パブリカのエンジンとシャーシを流用することを前提として開発された。非力なパブリカ用のエンジンで高い性能を確保するため、軽量化と空気抵抗の抑制が図られ、結果としてデザインは徹底して丸みを帯びた。また、ボディにはモノコック構造が採用され、重量は僅か580 kg に抑えられた。全長3,580 mm ×全幅1,465 mm ×全高1,175 mm という小さな2シーターボディの完成である。
非力なエンジン+優れたボディの組み合わせで155km/hを叩き出すことに成功!
ほとんどのパーツはパブリカからの流用で賄われることとなったが、パワーユニットは、当初、パブリカ用のU型(空冷水平対向2気筒OHV・700cc)を約100ccの排気量拡大し、ツイン・キャブレターを搭載することによって、790cc、45psを実現した。それでもまだ非力だったが、軽量空力ボディの効果は大きく、155km/h の最高速度を達成することに成功した。
未だに語り継がれる伝説のレースを達成
日本の自動車レースの黎明期に登場したヨタハチは好敵手と言えるホンダS600の存在と相まって、多くの逸話を残した。伝説的に語られるのは、1965年7月18日の船橋サーキットにおける全日本自動車クラブ選手権レースであろう。GT-1クラスレースの序盤、ホンダS600を駆る生沢徹のスピンに巻き込まれて接触し、ピットインした浮谷東次郎のヨタハチは、16位にまで後退しながら、その後、驚異的な追い上げを見せて順位を挽回。ついには先頭を走る生沢のS600を抜き去り、さらに2位以下を大きく引き離し、見事、優勝しているのだ。
エポックメイキングな車種でもあった
1977年に行なわれた東京モーターショーにヨタハチにガスタービンエンジンと電気モーターを搭載したハイブリッドカーが展示されることとなった。トヨタのハイブリッドカーの先駆けはプリウスではなく、ヨタハチだったのだ。また、ヨタハチには着脱式のトップが採用された。ポルシェ・911での用いられていた呼称を流用して、後年「タルガトップ」と呼ばれるようになったが、実はポルシェよりも採用は早かったのだ。このようにヨタハチはエポックメイキングな車種でもあったのだ。
約4年で生産終了、ゆえに自分の愛車の行方がわからない
1965年から作られ、幾多の伝説を残したヨタハチだったが、小型といえど2シーターのスポーツカーが大量に売れる情勢ではなく、また、国外への輸出もほとんど行われなかった。1969年に生産中止された段階での総生産台数は、3,131台である。この生産台数の少なさが、ヨタハチをレア車両へと押し上げることとなった。
現在、ヨタハチを所有したいという方は
ヨタハチは人気車種であり、また、レア車両でもあるため、値段もそれなりに高く、300万円代後半から500万円台にも及ぶ。ただし、パーツに関しては多くの部品がパブリカと共用できるため、それほどパーツには不自由しないという。むしろ、ボディパーツなどのほうがよほど深刻だとか。どんな旧車でもそうだが、ヨタハチも同じく、維持をし続けるにはお金がかかる。そして時間もかかる。それでもヨタハチが好きだという方は、それらの試練を乗り越えて、次世代にまで残す勢いで、大事に乗ってほしいものである。
画像 – Flickr : Moto “Club4AG” Miwa、Jim Culp