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ハーレーカスタム界のパイオニア!アーレン・ネスが2分で学べる!!

ハーレーカスタム界のパイオニア!アーレン・ネスが2分で学べる!!

皆様は、Arlen Ness(アーレン・ネス)という人物をご存知だろうか。

ハーレーに乗っている方であれば、人物名ではなくとも、カスタムパーツ・メーカーとして知っている方も多いのでは。

今回は、世界が認めるカスタムビルダー、アーレン・ネスについてご紹介いたします。

 

カスタム・ビジネスの第一人者

ハーレーカスタム界のパイオニア!アーレン・ネスが2分で学べる!!

今でこそバイクを”カスタム”して生業にするというのは、二輪業界においてメジャーなビジネスの一つである。このカスタムした対価を得るビジネスのモデルを作ったの第一人者がアーレン・ネスである。

 

カスタムビルドの素質

ハーレーカスタム界のパイオニア!アーレン・ネスが2分で学べる!!

アーレン・ネスは1967年に、ボーリングで獲た賞金で初のハーレーを買いガレージでカスタムを始めた。

そして、”スプレーガン(塗装に使用する道具)”と”夢”を武器に、初めて購入したナックルヘッドへ彼の独創的なアイデアを施したのである。その車輌ではじめてのカスタムショーへエントリー、するといきなり1位を獲得し、彼の自信へと繋がった。

日に日にカスタム依頼は増え続け、車輌のカスタム製作は夜を徹してこなしていった。夜を徹して作業を続けた結果、初めてのショップを構えるまでそう長くは無かったのだが、その頃はまだ、昼は別の仕事をし、夜にカスタムバイクを製作する生活を送っていた。このダブルワークによって、誰よりも多くの仕事をこなし、多くのショーにエントリーし、多くのトロフィーを獲得していった。その後、妻のべヴが経理をしはじめ、アーレンは昼の仕事を辞めてカスタムビルドを本業とするようになった。

 

何かに真似る事無く、常に創造する

カスタムビルドをビジネスとした彼は、「何かに真似る事無く、常に創造する」というフレーズをスローガンに、今日に至る。

1973年にカスタムバイク誌の編集長ラリー・カウファーマン氏は、当時無数にいたカスタムビルダーの中でも、アーレン・ネスの際立ったカスタムバイクにセンスを感じ、ラリーは多くのカスタムバイクを取り上げるようになった。

ラリー氏は今日の雑誌制作において「アーレンの写真やコメント、エッセイ無しでの雑誌制作は困難である」と語っている。

 

アーレン・ネス・ブランドの確立

ハーレーカスタム界のパイオニア!アーレン・ネスが2分で学べる!!

2003年3月、70人もの 従業員を備え、アメリカのダブリンに68,000スクエアフィートという広大な敷地に本社を構えた。

現在では本社にショールーム、パーツセンター、物流センター、撮影用スタジオ、ネス博物館、ネスモーターサイクルの工場を備え、息子であるコーリー・ネスと共に、卓越された技術から生み出されたカスタム・ビルド・マシン、パーツを創り出している。

 

カスタム業界の礎を築き上げたアーレン・ネスそのスピリットは現在、息子であるコーリー・ネス、孫のザック・ネスへ脈々と受け継がれている。次回は、コーリー氏、ザック氏についても探っていきたい。

 

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参考 – イージーライダース

Writer: forRide編集部

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